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旭川地方裁判所 平成7年(モ)542号 決定 1996年2月09日

債権者

株式会社南成造船

(ナムスング・シップヤード・カンパニー・リミテッド)

右代表者

デイ・ケイ・カン

右訴訟代理人弁護士

佐藤恒雄

田中克幸

右訴訟復代理人弁護士

城山康文

債務者

バラクーダ・カンパニー・リミテッド

右代表者

セドレーガ・ビクトル・ウラジミロビチ

右訴訟代理人弁護士

山本行雄

右訴訟復代理人弁護士

村岡啓一

八重樫和裕

主文

一  右当事者間の当庁平成七年ヨ第七四号船舶仮差押命令申立事件について、当裁判所が平成七年一〇月一三日にした仮差押命令は、債権者が本決定送達の日から一〇日以内に新たに金二五〇万円の担保を立てることを条件に、これを認可する(ただし、請求債権目録を別紙一のとおり補正する。)。

二  訴訟費用は債務者の負担とする。

理由

第一  事案の概要

一  申立て

1  債権者

(一) 主文第一項掲記の仮差押命令(以下「本件仮差押命令」という。)を認可する。

(二) 訴訟費用は債務者の負担とする。

2  債務者

(一) 本件仮差押命令を取り消す。

(二) 債権者の本件仮差押命令の申立てを却下する。

(三) 訴訟費用は債権者の負担とする。

二  争いのない事実等

1  債権者は、平成七年一〇月一三日、当裁判所に対し、別紙一の請求債権目録記載の債権(以下「本件請求債権」という。)を被保全権利とし、以下の理由を主張して、債務者が所有する別紙二の船舶目録記載の船舶(以下「本件船舶」という。)について、仮差押命令の申立てをした(争いのない事実)。

(一) 債権者は、船舶の建造及び修理等を業とする大韓民国(以下「韓国」という。)の法人であり、債務者は、漁業を業とするロシア共和国(以下「ロシア」という。)の法人である。

(二) 債権者は、平成五年(一九九三年)五月七日付けで、債務者との間で、本件船舶の修理等に関する請負契約を締結し(以下「本件請負契約」という。)、同年六月二四日までに、本件船舶の修理等を行ったが、その代金は九四万米ドルであった。

(三) 債務者は、同年六月二四日までに、債権者に対し、本件請負契約の代金として合計二八万七四九九米ドルを支払ったが、その余の弁済をしなかった。

(四) 債務者は、平成七年(一九九五年)二月八日、債権者に対し、前記請負代金の残金六五万二五〇一米ドルを、同年五月一日限り一〇万米ドル、同年六月一日限り一〇万米ドル、同年一〇月一日限り四五万二五〇一米ドルに分割して支払う旨約したが(以下「本件弁済合意」という。)、右の弁済をしなかった。

(五) 債権者は、債務者に対する右残代金債権六五万二五〇一米ドル(本件請求債権はその内金一〇万米ドル)について支払請求訴訟を提起する予定であるが、債務者には、本件船舶以外に資産はなく、これを売却するなどのおそれがある上、本件船舶は、平成七年一〇月一三日に稚内港に入港後、直ちに積荷の陸揚げを終了し、海外へ出港する予定であり、また何時日本に寄港するか明確でないので、客体の性質上からも、強制執行が著しく困難となるおそれがある。したがって、仮差押命令により本件船舶に対する強制執行を保全する必要がある。

2  当裁判所は、前記申立ての日、債権者の申立てを相当と認め、金二五〇万円の担保決定をした上で、本件船舶を仮に差し押さえる旨の決定をすると共に、当裁判所稚内支部執行官に対し本件船舶の船舶国籍証書等を取り上げて当裁判所に提出することを命ずる旨の決定及び当裁判所稚内支部執行官野村常善を本件船舶の保管人に選任する旨の決定をした(当裁判所に顕著な事実)。

3  当裁判所稚内支部執行官は、同年一〇月一四日午前一〇時、稚内市稚内港北洋ふ頭に係留中の本件船舶内において、本件仮差押命令の執行に着手し、同日午後三時までの間に、本件船舶に対する債務者の占有を解いてこれを保管した上、前記ふ頭を保管場所に指定して、本件船舶を同所に鎖でつなぎ施錠した(甲一一)。

三  主要な争点

1  管轄権の存否

(一) 債務者の主張

(1) 債権者と債務者は、本件請負契約の際、右契約に関連する紛争について、韓国プサンの高等裁判所を専属管轄裁判所とする旨を、本件弁済合意の際、ロシアの仲裁裁判所を専属管轄裁判所とする旨をそれぞれ合意しており、そのいずれによっても、日本の裁判所は、本案訴訟についての管轄権を有しない。

本案訴訟についての国際管轄が認められない場合、以下の理由により、日本の裁判所に、保全事件のみの管轄権を認めるべきではない。

① 保全事件は本案訴訟に付随するものであって、日本の民事訴訟における本案の権利を前提とする。

② 本案訴訟と無関係に保全事件の管轄のみを認めた場合、起訴命令の履行が不可能となったり、本案訴訟と保全事件とが法体系の異なる二つの国に係属し、国際二重訴訟を招来する。

③ 仮差押目的物の所在地に管轄権を認めた従前の裁判例は、本案訴訟についての国際管轄が認められる場合に限られている。

(2) 仮に、本案訴訟の管轄権の有無にかかわらず、仮差押目的物の所在地を管轄する裁判所に保全事件の国際管轄を認めうるとしても、本件の場合、以下の特段の事情があるので、日本の裁判所の管轄権は否定すべきである。

① 債権者と債務者はいずれも日本国内に支店、営業所等を有しておらず、両者の間には、本件請負契約の他に取引関係はない。本件船舶は、たまたま稚内港に寄港したにすぎず、本件請負契約の代金をめぐる紛争については前記管轄の合意があるので、当事者双方は、日本の裁判所において審理を受けるということを全く予定していなかった。

② 本件請求債権の存否についての審理は、本件船舶の修理等を行った債権者の工場所在地で行うのが最も合理的であり、日本において行うことは人的にも物的にも不適切である。

(3) また、仮に、仮差押目的物の所在地を管轄する裁判所に、保全事件の国際管轄が認められるとしても、韓国又はロシアの裁判所を管轄裁判所とする旨の前記合意には、保全事件についても、他国の裁判所では提起しない旨の不起訴の合意が含まれるから、右の合意の効果として、本件仮差押命令申立事件についての日本の裁判所の管轄権は否定される。

(4) 本案判決の後、債権者が日本の裁判所の執行判決を得て本件船舶に対し執行を行うためには、両当事者の本国である韓国とロシアとの間に相互保証の存することが必要というべきところ、これがあるとは認められない以上、本案判決の日本における執行可能性がないから、権利保護の利益がないので、日本の裁判所に保全処分の管轄権はない。

(5) 以上のとおり、本件仮差押命令は、管轄権のない裁判所が発した違法なものであるから、取り消されるべきである。

(二) 債権者の主張

(1) 国際裁判管轄の合意は、原則として付加的合意と解すべきところ、本件の場合、民事訴訟法八条の準用により、財産所在地である当裁判所に本案訴訟の国際管轄が認められるので、本件仮差押命令申立事件についても、当裁判所に管轄権が認められる。

また、以下の事情が認められるので、日本に管轄権を認めることを否定すべき特段の場合にはあたらない。

① 本案訴訟の審理のためには、修理等の作業の対象であった本件船舶が重要な証拠方法であるから、その所在地を管轄する裁判所に管轄権を認めるべきである。

② 債務者は、日本法人とロシア法人との合弁会社であり、日本の法人と独占的な取引関係にある。債権者も日本企業との取引が多く、東京に関連会社を有している。

③ 本件船舶は、サハリン州と北海道との間の、海産物等の輸入運搬に従事している。

(2) 仮に、本件請負契約及び本件弁済合意の条項が、韓国又はロシアの裁判所に対する国際的専属管轄を規定したものと解される場合であっても、以下の理由により、その効力は否定される。

① 本件請負契約の条項は、その後、本件弁済合意がなされたことにより、少なくとも管轄合意部分の効力は失われた。

② 本件弁済合意の条項が、国際的専属管轄の合意として有効と認められるためには、指定された国の裁判所で訴えが受理されることが必要であるが、債権者が、平成七年一〇月、ユジノサハリンスク市のサハリン州仲裁裁判所において、本件請負契約の残代金の支払いを求める本案訴訟を提起したところ、韓国の裁判所に移送すべきことを理由に訴状が返戻された。したがって、わが国の国際民事訴訟法として、本件弁済合意に国際的専属管轄合意としての効力を認めることはできない。

(3) 仮に、日本の裁判所に、本案事件についての国際管轄が認められない場合であっても、本件仮差押命令申立事件については、以下の理由により、仮差押目的物の所在地を管轄する当裁判所に管轄権が認められる。

① 本案事件についての国際管轄が認められない場合でも、外国裁判所の本案判決を得た後、執行判決により本件船舶に対し執行することは可能であるから、その前段階として、日本の裁判所が保全命令を発することも当然に予定されている。

② サハリン州仲裁裁判所の前記(2)②の決定にともない、債権者は、平成八年一月一八日、韓国プサンの裁判所に前同様の訴えを提起した。よって、本案の訴えについての管轄権は、右裁判所に認められ、日本と韓国との間には相互保証が存在することから、韓国の裁判所で得た確定判決により、本件船舶に対し執行することは可能である。

③ 権利義務を確定する本案訴訟と、その執行に備えて債務者財産を保全する保全事件とでは、その目的が異なるから、本案訴訟と保全事件とが異なる国の裁判所に係属することを否定する理由はない。

④ 本件仮差押命令申立てについて、日本の裁判所の管轄権が否定されるとすれば、本件船舶を保全するためには、韓国等において保全命令を得るほかないが、保全の迅速性の要請に反するのみならず、わが国の現行法上、外国の保全命令を国内で執行する手続はない。

(4) 相互保証は、承認、執行の対象とする判決を下した裁判所の所属する国と日本との間に存在すれば足り、両当事者の所属国間に必要と解すべき理由はない。

(5) 本案についての管轄の合意が、保全事件についての不起訴の合意を含むと解すべき理由はない。

2  発航準備終了の有無(商法六八九条)

(一) 債務者の主張

(1) 本件船舶は、平成七年一〇月一三日に稚内港に入港した後、積荷である海産物の荷降ろし、水、氷及び燃料の積込み、乗員の乗り組み並びに出港予定時間を同日午後五時とする稚内税関支署の出港許可書の入手等、発航に必要な準備を、遅くとも同日午後四時三〇分までには終えていた。

(2) 本件船舶は、荒天のため、同日午後五時の出港を一時見合わせ、出港日時を翌一四日午後三時に訂正申告するために、税関手続の代理店である日本通運稚内支店に出港許可書を返還したものであり、発行の準備を終えた態勢を継続しつつ、天候の回復を待っていたにすぎない。

(3) 本件仮差押命令は、本件船舶の発行の準備が終了していないことについての債権者の疎明がないにもかかわらず発せられた違法なものであるから、取り消されるべきである。また、本件仮差押命令の執行も、本件船舶が発航のための準備を終えた後になされたものであるから違法である。

(二) 債権者の主張

(1) 商法六八九条の「発航の準備を終わりたる」とは、客観的に即時に発航することができるための条件が整ったことをいうが、本件船舶の場合、本件仮差押命令の執行が開始された時点では、船長その他多くの乗員が乗船しておらず、中古自動車の積み込みを行っている最中であり、税関長の出港許可も得られていなかったから、即時に発航することができる状況にはなかった。

(2) 同条は、仮差押の決定を禁止した規定ではなく、仮差押命令の執行を禁止した規定であり、また、本件船舶が発航準備を終えていたことは、保全異議又は執行異議において債務者が主張、立証すべき事柄であるから、本件仮差押命令申立ての時点で、債権者がその不存在について疎明する責任を負うべきものではない。

3  保全の必要性

(一) 債務者の主張

日本の裁判所に本案訴訟の管轄権がないことは、前記三の1(一)のとおりである上、本件船舶は、本案訴訟の管轄権のあるロシアのネヴェルスク港を船籍港とする船舶であり、日本から出航しても、ロシア法により船籍港での執行が容易になし得るのであるから、本件仮差押命令による保全の必要性はない。

(二) 債権者の主張

ロシアでの管轄権が否定されたことは、前記三の1(二)のとおりであるところ、本来、船舶のような移動性のある目的物は、移動性を有すること自体で保全の必要性が肯定される上、本件船舶は、債務者の唯一の資産であって、サハリン州と日本との間での漁獲物の輸送等に用いられており、韓国に寄港することはない。それに加え、本件船舶が第三者に譲渡される可能性は極めて高いから、本件仮差押命令による保全の必要性は顕著である。

4  担保額

(一) 債務者の主張

債権者の疎明は、前記三の1及び2の点についてはもとより、被保全権利及び保全の必要性についても不十分であること、債務者は本件仮差押によって本件船舶の運行が不可能となり、その間の逸失利益は月額約八〇〇万円ないし二五〇〇万円に上ること、債権者が主張する本件請負契約の代金が九四万米ドルであることからすれば、作業の内容に瑕疵がなければ、本件船舶の時価は約七五二〇万円を下らないところ、債権者は、本件請負契約の残代金の内金一〇万米ドルを本件請求債権として本件船舶全部を仮差押えしたことを総合考慮すると、本件仮差押命令における担保金額二五〇万円は低額に過ぎる。

(二) 債権者の主張

債権者の疎明は十分である上、本件仮差押命令がなされなかった場合の得べかりし利益の額についての債務者の主張は客観性、合理性に欠け、また、本件請負契約に基づく修理等の際に新たに設置された設備等を考慮しても、本件船舶の価格は三〇〇〇万円程度であるから、本件仮差押命令における担保金額は妥当であり、これを増額すべき理由はない。

第二  当裁判所の判断

一  前記第一の二の事実のほか、疎明及び審尋の全趣旨によれば、以下の事実を一応認めることができる。

1  債務者は、平成五年四月二四日、本件船舶を債権者のドックヤードに入渠させ、見積り等の後、同年五月七日付けで、債権者との間で、本件船舶の修理及び再艤装について本件請負契約を締結し、請負代金は七九万九五九五米ドル又は必要に応じ相当額の魚介類とすること、見積り外の作業の料金は合意によって定めること、作業又は材料の質を原因とする欠陥についての保証期間は三か月とすること、本件請負契約に起因して発生した論争又は意見の相違は、韓国プサンの高等裁判所において裁定を受け、その決定を最終決定としてこれに従うことなどを約した。

債権者は、同年六月二四日までに、本件船舶に対し、ドック及び一般的役務、捕獲装置、加工装置及び冷凍設備の修理又は設置作業、一般的作業、並びに船体、機械及び電装についての追加の作業を行い、同日、供給品の価格を含め、本件請負契約の代金総額は九四万米ドルであるとして、これを債務者に請求した。債権者と債務者は、岸壁及び海上での試運転を行った後、翌二五日に本件船舶の引渡しを行い、債務者は、異議なくこれを受領した。また、債務者は、本件請負契約の代金として、同年五月一五日に一〇万米ドル、同年六月三日に四万七四九九米ドル、同月二四日に一四万米ドルをそれぞれ債権者に支払った(甲一、甲二、甲五、乙一の1ないし3)。

2  本件船舶は、引渡しから一〇か月余りを経た平成六年五月一六日、航海中に補助ジーゼル発電機のベアリングとクランクシャフトが損傷するという事故を起こしたが、右の事故は、欠陥についての前記保証期間が経過した後に生じたものである上、債権者側では、右の損傷が本件請負契約に基づく作業に起因するものとは考えていない(甲四(乙三に同じ)、甲五)。

3  債務者が本件請負契約の残代金を支払わなかったため、債権者と債務者は、平成七年二月八日、本件弁済合意をし、債務者は、債権者に対し、同年五月一日までに一〇万米ドル、同年六月一日までに一〇万米ドル、同年一〇月一日までに四五万二五〇一米ドルの残代金合計六五万二五〇一米ドルを支払うこと、いずれかの当事者の過失により問題が生じたとき、全ての紛争はロシアの仲裁裁判所において解決することなどを約した。

その後、債務者が、本件弁済合意に従った弁済も行わなかったため、債権者と債務者は、本件請負契約の残代金の清算方法について協議を重ねたが、同年一〇月一〇日ころ、債務者の代表者は、債権者の代理人に対し、債務の存在を認めた上で、同年度中は返済資金がなく、本件船舶に修理及び艤装を行い、漁業に使用することができるようになれば弁済が可能になる旨を述べて、弁済の猶予を求めた(甲三(乙二に同じ)、甲一三、甲二五)。

4  本件船舶は、同年一〇月一二日、乗員二〇名が乗り組み、ソイを積んでネヴェルスク港を出港し、同月一三日、稚内港に入港し、積荷のソイを降ろした後、日本における取引先から所有権留保付で購入したエビの選別機を積み込んだ。入港後、本件船舶の船長は、税関手続の代理店である日本通運株式会社稚内支店を通じ、稚内税関支署に対し、同日午後五時に出港する旨の同支署長宛の出港届を提出した。日本通運の職員は、同日午後四時五〇分ころ、右出港届に出港を許可する旨の稚内税関支署長の押印を受けた出港許可書を本件船舶まで持参したが、本件船舶側が荒天を理由に出港を翌一四日午後三時に延期することとしたため、右時刻までの本件船舶の接岸場所の手配をすると共に、前記出港許可書の返還を受けた(乙四、乙五、乙八ないし一七、乙二〇)。

5  債権者は、同年一〇月一三日午前九時三〇分、当裁判所に対し、本件船舶について仮差押命令の申立てをし、本件仮差押命令は、同日午後二時四〇分、当庁において、債権者代理人に告知された。

当裁判所稚内支部執行官野村常善は、同月一四日午前一〇時に本件船舶に赴き、本件仮差押命令及び取上命令の執行に着手したが、船長及び一等航海士が外出中で行き先も不明であったため、船籍国籍証書等の取り上げ等をすることができず、同日午後一時過ぎころに船長が帰船するのを待って、船長に対し、本件船舶について本件仮差押命令が発せられたことを告知し、船籍国籍証書等を取り上げた。その際、債務者の副社長と称する人物が、本件船舶は既に債務者から別会社に譲渡されている旨を主張して、執行に対し異議を述べたが、執行官は、船籍国籍証書の記載により、債務者が本件船舶を占有していると認定し、本件仮差押命令を執行した(甲一一、甲一二、甲二一)。

6  債権者は、同年一〇月二九日、債務者から六五万二五〇一米ドルの回収を求める旨の訴状をサハリン州の仲裁裁判所に提出するとともに、同裁判所に対し、債務者の財産及び本件船舶の差押え並びに債務者の財産譲渡等の禁止を求める仮処分の申立てをした。これに対し、同裁判所は、同年一一月三日、本件請負契約の条項に従い、同裁判所には管轄権がなく、韓国プサンの最高裁判所に送致すべきことを理由に、訴状についてはこれを返戻する旨の決定(以下「本件訴状返戻決定」という。)を、仮処分の申立てについてはこれを却下する旨の決定をしたため、債権者は、平成八年一月一八日、韓国プサンの地方法院において、債務者に対し、六五万二五〇一米ドルの支払いを求める旨の訴えを提起し、受理された(甲七、甲一三、甲二八、甲二九)。

7  本件船舶は、魚類等の捕獲設備、加工設備、冷凍設備等を備えたトロール漁船であるが、本件仮差押命令申立ての時点では、発電機の故障のため冷凍設備を稼働させることができず、主に魚類の運搬等に従事していた。また、本件船舶は、建造後一〇年を経過しているものの、平成五年に、本件請負契約に基づき、船体等の修理及び設備の新設等がなされているため、その価格は三〇〇〇万円を下ることはないと見積られ、債務者に、他に格別の資産はなく、本件船舶の運航による利益が唯一の収益である(甲二一、甲二五、甲二七)。

二  主要な争点1(国際裁判管轄の存否)について

1  仮差押命令事件の国際裁判管轄を直接規定した法律等は存在しないので、一般の民事訴訟同様、当事者間の公平、裁判の適正、迅速という理念により、条理に従って決するほかないが、仮差押命令は、本案判決後の強制執行に備えて債務者の責任財産を保全する緊急的、暫定的手続であるから、請求権の存否、内容や本案判決の執行の問題を考慮しなければならないという点で、本案事件に対する付随性が認められる一方、その執行の迅速性等、仮差押え自体の実効性の確保も看過することはできない。

民事保全法一二条一項は、仮差押命令事件の国内土地管轄について、本案の管轄裁判所と並んで、仮差押目的物の所在地を管轄する地方裁判所にも管轄権を認めているが、前者の管轄原因は、前述した本案事件に対する付随性によるものと解されるのに対し、後者については、仮差押えの実効性確保の観点から、本案管轄の所在とは無関係に、目的物の所在地に管轄権を認めることが合理的と認められることによるものと解される。

2  仮差押命令事件の国際裁判管轄も、本案事件に対する付随性及び仮差押えの実効性の観点から検討を加えるべき点では国内土地管轄と同様であるから、民事保全法一二条一項の準用により決すべきものと考えられ、日本の裁判所に本案事件の裁判権が認められなくとも、仮差押目的物が日本に存在し、外国裁判所の本案判決により、将来これに対する執行がなされる可能性のある場合には、日本の裁判所に仮差押命令事件についての裁判権が認められると解するのが相当である。なぜならば、外国裁判所の仮差押命令を日本において直ちに執行する手続は現在のところ存在せず、目的物の所在地を管轄する日本の裁判所で仮差押命令を得てこれを執行することが、仮差押えの実効性の観点からは最も妥当である上、外国裁判所において請求権の存否内容が確定され、その判決によって目的物に対する執行がなされる可能性があれば、本案事件に対する付随性の要請も充たされると考えられるからである。

3  そこで、本件仮差押命令申立事件について検討するに、前記第二の一で認定したところによれば、本件の本案訴訟については、当事者間の合意の効力として、日本の裁判権が排斥される可能性があるが、その場合であっても、既に検討したとおり、本案についての外国の裁判所の判決が日本で執行される可能性が認められれば、本件船舶の所在地を管轄する当裁判所に本件仮差押命令申立事件の管轄権を認めるのが相当である。また、右の前提として、当該外国の裁判所において将来下される判決の執行可能性の有無を判断するにあたっては、保全命令の段階では、民事訴訟法二〇〇条各号の要件を全て具備することまでは要求されないというべきであり、同条の一号及び四号の要件を一応充たす可能性があれば、執行の可能性についてはこれを肯定することができると解される。

そして、前記第二の一1及び3で認定したところによれば、債権者と債務者は、本件請負契約において、韓国の裁判所を管轄裁判所とする旨の合意をした後、本件弁済合意において、ロシアの裁判所を管轄裁判所とする旨の合意をしたものであるが、債権者は韓国の法人であること、本件弁済合意は、本件請負契約の存在を前提とし、その未払いの残代金債務の清算方法について付加的な取り決めをしたものであること、本件弁済合意において、既になされた韓国の裁判管轄の合意を変更する旨の明文規定は存在しないことなどを考慮すると、当事者が、本件弁済合意において、韓国の裁判権を排斥する趣旨の合意をしたと解することは困難である。

そして、債権者は、前記第二の一6で認定した経緯により、平成八年一月一八日、プサンの地方法院で本件の本案訴訟を提起し、本案事件が受理されたが、日本の法律又は条約で韓国の裁判権は否定されておらず、わが国の民事訴訟法二〇〇条と韓国民事訴訟法二〇三条を対比すれば、日本と韓国との間には相互保証が存在すると解されるので、韓国の裁判所において将来下される本件本案判決については、日本で執行される可能性が存在すると認められる。

したがって、国際裁判管轄については民事保全法一二条の準用により、国内土地管轄については同条を適用して、目的物である本件船舶の所在地を管轄する当裁判所に、本件仮差押命令申立事件の管轄権が認められるというべきである。

4  なお、日本における執行可能性の前提として、ロシアと韓国との間における相互保証が必要と解すべき理由はなく、本件請負契約又は本件弁済合意における当事者の意思解釈として、保全命令事件を日本の裁判所において提起しない旨の合意がなされたと解することもできない。また、一件記録によっても、本件船舶に対する仮差押命令申立てについて、日本の裁判所の裁判権を否定すべき特段の事情も認められない。

ところで、本件異議申立事件の審理終結後に債務者から、サハリン州仲裁裁判所において、同裁判所がなした本件訴状返戻決定につき、平成八年一月二九日、債務者の控訴を受理する旨の決定がなされ、同年二月一九日に法廷審理が行われる予定である旨の疎明資料(乙三三)が提出されているが、右控訴受理の決定により行われる法廷審理が債務者の主張するような本案審理なのか、あるいは債務者の不服について審理するにすぎないものなのか、また、右法廷審理の結果どのような判断がなされるのかなどは全く不明である。また、ロシアの裁判所において本案判決がなされた場合の、日本における執行可能性についてはなお判然としないが、既に検討したように、管轄合意のある韓国の裁判所が本件本案事件を受理したと認められる以上、本案判決の執行可能性は一応認められるというべきであり、緊急性を有する保全命令事件の国際管轄を肯定するための要件としては、これをもって足りると解されるから、右疎明資料を斟酌しても、前記結論は左右されないというべきである。

三  主要な争点2(発航準備の終了)について

1  商法六八九条は、発航の準備を終えた船舶に対する差押え及び仮差押えの執行を禁じているが、同条但書において、発航をなすために生じた債務についてはその例外としていることからも、同条の立法趣旨は、荷主その他の船舶関係の利益と、債権者の船舶に対する権利行使の利益との調和を図るところにあると解される。そして、同条に定める執行禁止は、本来、権利行使の対象たるべき財産に例外を設けるものであるから、「発航準備を終えた」ことの解釈としては、船舶が、即時に発航することができるための事実上、法律上の条件が整ったと客観的に認められる場合に限定すべきである。

2  そして、前記第二の一で認定した事実及び乙第二〇号証によれば、本件船舶は、平成七年一〇月一三日に稚内港に入港し、荷物の積み降ろしなどを終えた後、同日午後五時に出港することを予定していたが、外出するなどしていた乗組員らは同日午後四時三〇分ころまでに帰船する予定であり、同日午後四時五〇分ころまでに稚内税関支署長の出港許可書を得たというのであるから、本件仮差押命令が債権者側に交付された同日午後二時四〇分の時点では、発航準備を終えていなかったことは明らかである。

また、本件船舶は、前記第二の一のとおり、右の出港許可書を得た時点で一旦発航準備を終えたと認められる可能性はあるものの、荒天を理由に、翌一〇月一四日午後三時に出港することとして出港許可書を返還したというのであるから、税関法上、新たな出港の日時を記載した出港届により、改めて税関長の許可を受ける必要があると解される以上、仮に一旦発航準備を終えたと認められる場合であっても、右出港許可書を返還した時点で発航準備の態勢を解いたと認めるのが相当である。

さらに、当裁判所稚内支部執行官が、本件船舶内で本件仮差押命令の執行に着手した同月一四日午前一〇時の時点でも、新たな出港許可書は得られておらず、船長、一等航海士も外出中で乗船していなかったのであるから、本件仮差押命令の執行時において、本件船舶が、事実上も法律上も即時に発航しうる状況になかったことは明らかであり、発航準備を終えた態勢で天候の回復を待っていたに過ぎないとの債務者の主張は採用することができない。

3  債務者は、本件船舶について、発航準備が終了していないことの疎明がないのに発せられた本件仮差押命令は違法である旨主張する。

ところで、発航準備が終了した船舶についての商法六八九条の規定は、前記1のとおり仮差押えの執行を禁じたものであり、直接に仮差押命令自体を禁じたものと解することはできないが、仮差押命令申立ての時点で、目的物たる船舶の発航準備が終了していれば、特段の事情のない限り、仮差押命令の執行は不可能と推認されるので、このような場合には権利保護の利益が認められず、申立て自体を不適法とせざるをえないことから、実務上は、船舶仮差押命令申立ての際、債権者に、当該船舶の発航準備が終了していないことの疎明を一応させているのが通例である。

しかし、船舶の発航準備の終了の有無は、仮差押命令の決定手続においては、権利保護の利益にかかわるものであることは右のとおりであるところ、保全異議手続は、その審理終結時までに提出された資料を前提に、当初の保全命令の当否について判断するものであるから、債務者において、仮差押命令執行の時点で発航準備が終了していたことの疎明をしない限り、当初の仮差押命令について権利保護の利益は否定されないと解すべきである。

そして、前記2で検討したとおり、本件仮差押命令発付の段階で、本件船舶が発航準備を終了していなかったことは明らかであるし、そもそも本件では、本件仮差押命令が執行された時点において、発航準備は終了していたとの疎明もなされていないのであるから、本件仮差押命令を違法として取り消す理由はないというべきである。

4  以上、検討したところによれば、本件仮差押命令に商法六八九条違反の違法があると解することはできない。

四  主要な争点3(仮差押命令の必要性)について

前記第二の一で認定したところによれば、債務者は、本件船舶の引渡しを受けた後は、本件請求債権にかかる残代金の支払いを全くしておらず、本件弁済合意の後もこれに基づく弁済をせず、債権者の請求に対しても、弁済資力がない旨を述べていること、また、債務者には本件船舶のほかに格別の資産はないが、船籍国籍証書等を返還して本件船舶の出港を認めた場合には、これを第三者に譲渡することは容易であり、現実に、債務者側の発言等から、第三者への譲渡の可能性が認められること、ロシアの裁判所において、ロシアでの債務者の財産の保全措置を求める債務者の仮処分の申立てが却下されていることなどを考慮すれば、本件仮差押命令における保全の必要性については、これを肯定することができる。

五  主要な争点4(担保金額)について

一件記録によれば、被保全権利及び保全の必要性についての疎明は十分なされているが、他方、債務者にとっては、本件船舶の運行によって得られる利益が唯一の収益であること、本件請求債権額は一〇万米ドルであるが、仮差押えの目的物である本件船舶の価格は三〇〇〇万円を下ることはないこと、本件仮差押命令では解放金が一〇〇〇万円と定められていること、その他、外国裁判所における本案判決の執行可能性等、本件に関する一切の事情を考慮すると、本件における担保の額としては五〇〇万円が相当と認められる。

第三  結語

以上検討したところによれば、本件仮差押命令は適法に発せられたと認められるところ、前記第二の五のとおり、担保の額については、当初の決定における二五〇万円を五〇〇万円に変更するのが相当であるから、民事保全法三二条一項、二項を適用して、債権者が、本決定送達の日から一〇日以内に右増加額である二五〇万円につき新たに担保を立てることを条件として、本件仮差押命令を認可することとする。

(裁判長裁判官土居葉子 裁判官岸日出夫 裁判官谷有恒)

別紙一

請求債権目録

金一〇万米ドル。ただし、債権者と債務者との間における、本件船舶の修理等に関する平成五年(一九九三年)五月七日付け請負契約の残代金債権六五万二五〇一米ドルの内金

別紙二

船舶目録

一 船舶の名称  OGON

二 登録番号 M―一二八二八

三 船舶の形式  魚類輸送船

四 登録した港  ネヴェルスク

五 船舶の製造年及び場所

一九八五年、スレテンスク

六 船体の素材  鉄鋼

七 総トン数   一九五

八 主機関の出力 二二五

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